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  プロローグ  


 〜〜 姫 〜〜


§§ プロローグ §§

 決められた運命との邂逅。
 逃れられぬ定め。
 私の心を押し潰す人々の期待。
 人々の期待は良い形を成さず、卑しく日々の生活や享楽に浪費される。
 私は人並みの生活を求め、自分の生い立ち故にそれは与えられなかった。



§§ 運命との出会い §§

 私はやはり王女としてはたしなみに欠ける方だと自覚している。
 幼いころは近衛騎士長の息子ロイと野山を駆け回って遊んだ。
 激しい遊びを先導するのはロイではなく私のほうだった。
 私はロイにカエルを押し付けたり、ズボンを脱がせたりして、むしろいじめていたのだった。

 ある日、ロイと王宮内を探検していた時、何かのはずみで隠し扉が開き、埃を被った陳列ケースの並ぶ古い美術館のような部屋に紛れ込んだことがある。
 その時目にしたものは、美しい細工を施され、宝石のちりばめられた黄金のパンツ。
 それはパンツというよりT字型のベルトで、前は少し幅広になり、後ろは棒状になっていた。
 すぐ傍らには、何に使うのかわからない、太い棒状のものが2本陳列されていた。
 その隣のケースには、同様の細工を施された美しい首飾りが1つと、腕輪のようなものが大中小3組、そして踵の高い古ぼけた長靴が陳列されていた。
 さらにその隣のケースには、やはり同じデザインの、小型の鳥籠のようなものが陳列されていた。
 同じケースにはビロード張りの小さな箱が入っていて、そこには耳飾りと思われる涙滴型の金の装飾具が飾ってあった。
 大振りのものが2個に小型のものが1個。
 子供ながらに小さいのが1つ足りないのは残念だと思った記憶がある。

 それらの陳列ケースの装飾品は、鎧戸の降りた狭い部屋の中で、わずかな透き間から差し込む王宮の中庭の淡い日差しに照らされ、埃に埋もれながらも美しい輝きを放っていた。

「ジュリア、もう行こうよ」
 ロイに促され、間違えて入ってしまった隠し扉から出る時、もう一度振り返ると、陳列ケースの隅に幾つもの鍵を連ねた鍵束があるのが目に入った。
 しかし当時はその鍵束とそれらの装飾具が何の関係があるのかさっぱりわからなかった。



§§ 転移 §§

 それから何年か経ったある日、あさ目を覚ますと俄に王宮が騒がしかった。
 いつも起しにくる侍従が来ない。
 これは今日こそ自分が早起きできたのだと喜んだが、時計を見ると9時を回っていて、いつも嫌々起きる時間より1時間も遅かった。
「ジュリアーーッ!!」
 ロイが血相変えて入って来た。
「キャ! いやっ! ロイ、いきなり入ってくるなんてどうしたの?」
「いいから早く!」
 腕を引っ張られ、パジャマのままベッドから引きずり起され、そのままクローゼットへと引っ張り込まれた。
「ちょっと! ロイ!」
 ロイはかまわずクローゼットの奥をガタガタやって、どこかを思い切り蹴った。
 ガコンと奥に穴が現れ、埃とカビの匂いが鼻をついた。
「こっち!」
 私をその穴に押し込むと、自分も私を押しこくりながら中に入って来て、ガコンと入り口を閉めた。

「ちょっと!」
「シッ!」
 暗闇で2人、声をひそめる。

 私の寝室でドカドカとすごい音がする。
「いたか?」
「いや、居ない。ん? ははぁ、ここだ」
 ドカドカと足音が近づいてくる。
「ヒッ!」
 私は小さな悲鳴を漏らした。
 ガタン、とクローゼットが開く音がする。
「いたか?」
「いや、違うようだ。窓か?」
「おう、こっちだ。ベランダの縁にこすった跡があるぞ」
 ドカドカと足音が去っていった。

「ホッ」
 一瞬胸を撫で下ろしたが、身に危険が迫っているような緊張感はまだ続いていた。
「こっち」
 ロイに腕を捕まれ、暗闇を手探りで進む。
 しばらく進んだら、ポッと灯りがついた。
 石造りの狭い通路に、金網で囲われた古い電球が取り付けられている。
 通路のどこかを踏むと点くようになっているらしかった。

 明かりの中にロイの埃まみれの顔が浮かぶ。
「一体、どうしたの?」
「僕もわからない。父さんがジュリアを連れて逃げろって……」
「どこへ?」
「この城の地下へ」

 ロイに従って、通路を進み、長い長い螺旋階段を裸足で降りて行く。
 足の爪が欠け血がにじんできた。
 やっと一番下に着き、さらに奥へと進むと、開けた大きな部屋へ出た。
 その中心に大きな装置があり、その前に何人かの大人が集まっていた。
「お父様! お母様!」

 ロイのお父さんは左胸に大きな傷を受けていた。



§§ 日常に割り込む非日常 §§

 私は時々、ある決まった夢を見る。
 それはまるで幼い時に読んだ外国の王様の物語の一シーンのようだった。
 石造りの中世風のお城の中。
 暗い地下広間に集まった数人の人たち。
 顔ははっきりしない。
 全員が一斉に振り向き、慌てた口調で口々に私に言葉を浴びせかけ、私は皆の手で箱のようなものの中に押し込められ、直後に全身が焼けるように痺れる。
 いつもそこで目が覚める。
 気が付くと私は必ず涙を流していて、枕が濡れ、目尻からこめかみにかけてが冷たく湿っている。
 それほど悲しい情景ではないと思うのに、なぜだか涙が溢れている。

「珠里(じゅり)〜? 起きてる?」
 扉の外からお母さんの声がする。
「あ、はーい、今降りる」
 鼻声に聞こえるのを極力避けるようにして返事をする。
 悲しくも無いのに流した涙を拭う仕草が、日常の朝から掛け離れた場違いな状況に思えて、自分でも奇妙に感じてしまう。
 ベッドからゆっくりと抜け出し、パジャマを脱いで、壁に掛かった制服のシャツに袖を通しながら、支度の済んでいる鞄を閉める。
「早く〜! 絽以(ろい)くんが待ってるわよ〜」
 今度は階下から呼ぶ声。
「今行くってば〜」
 制服を着込んで鞄を掴み、トントンと階段を降りる。
 キッチンの棚から缶入りのカロリードリンクを取り出し、パキッと開封するなりゴクゴクと飲む。
「あ! またそんなの飲んで! ちゃんと朝ごはん食べなさい!」
「絽以が待ってるんでしょ?」
「だからって、そんなもので済ますなんて……」
「いってきまーす!」
 口うるさいお母さんの言葉を遮るように言って、廊下から玄関に出ると絽以が立っていた。
「おはよう」
「おっす」
「ごめんね、待った?」
「いいって。行こうぜ」
「うん」
 絽以と連れだってウチを出る。

「あーまた同じ夢見ちゃったなぁ……」
 道すがら、絽以に聞かせるわけでもなくボソッとつぶやく
「いつものやつ?」
「うん…… これって、前世の記憶かなぁ」
「アハハ、かもね。僕も似たような夢見るよ。それに、その夢の中で見てもいないシーンまで、目が覚めてから覚えているんだ」
「え? ほんと?」
「僕もお城の中の夢なんだけど、同い年くらいの女の子の手を引いて逃げ回る夢」
「あ、じゃぁその子は私だ、私」
「もっとかわいい子だったなぁ」
「ひっどーい!」
 他愛ない会話をしているうちに学校に着いた。

 なんだか学校の前が騒がしい。
 校門の脇に人だかりが出来ていた。
「早く! 早くボルトカッターを持って来い!」
 ざわめく人の輪の中心から教頭先生の叫び声がする。
「すごい…… なにあれ? エスエム?」
「なんでこんなことに……」
 取り囲んだ生徒たちが囁くような声で会話し合っている。
「どうしたの?」
 私は一心に覗き込んでいる手近な同級生にきいた。
「朝、用務員さんが校門開けに来たら繋いであったんだって」
「え? 何が?」
「あそこに見える、犬みたいのが。 ……人間かしら? あれは」
「えっ?えっ?えっ?」
 私は人垣を押すように輪の中心に近づいた。
 人の頭越しに、まず見えたものは、しゃがんでる教頭先生。
 そしてその足元に、肌色の塊に黒い幅広のベルトを巻いたようなモノが落ちていた。
 それが何かを認識した私は、背中に冷や水を浴びせられたように感じた。
「典子ちゃん!!」

 その肌色の塊は昨日の帰りに別れた典子ちゃんに間違いなかった。
 三つ編みを留める紫色のリボンを『ただの紫じゃないんだよ。ラベンダーカラーなんだよ』と言っていたのをはっきりと覚えている。
 典子ちゃんは裸の全身を革のベルトで戒められ、手は左右それぞれ手首を肩に付くまで折り畳んでベルトで幾重にも留められ、足も踵がお尻に付くまで畳んで縛られ、校庭の土の上に四つん這いになっていた。
 まるで犬のように。
 首にはごつい首輪が巻かれ、子供の拳くらいありそうな頑丈な南京錠で留められていた。
 そこからバイクを繋ぐのに使うような太い鎖が伸びていて、その鎖は校門の鉄の扉の格子に別の南京錠で繋がれていた。
 鍵を掛けられた典子ちゃんは、犬の姿のまま、自力はもちろんのこと、助けようとしている先生の手ですらここから動かせないのだった。

「タオルまだか!? 西脇くん! 生徒を教室に入れてくれ!」
「ハイ。 ほら、みんな見てないで早く教室に入れ!!」
 生徒の輪がほぐれ始めた時、大きな柄のついたペンチとバスタオルを持って、用務員さんが輪に割り込んできた。
「早く! ここだ! ここ!」
 用務員さんが、投げ付けるようにタオルを典子ちゃんに被せ、典子ちゃんの前にしゃがんで巨大なニッパーで南京錠のツルを挟んだ。
 作業のため泣き顔を持ち上げた典子ちゃんの口には、得体の知れない大きな口枷のようなものが嵌められていて喋れないようだった。

 ――バキン――

 硬い音が響き、ジャラジャラと鎖の解ける音がして、典子ちゃんは校門に繋がれた状態からとりあえず解放された。
 でも体を縛るベルトや口枷はそのままだ。
 教頭先生はしばらく他の先生と相談していたが、その場で典子ちゃんの体を戒めている革ベルトに掛かった鍵を1つ2つ壊してみた。
 しかし鍵の数の多さに負けたのか、壊すのをやめ、西脇先生と用務員さんに担架を取って来させた。
 典子ちゃんは手足を折り畳まれた四つん這いの姿のまま、担架に乗せられ、毛布を掛けられて運ばれていった。
 口枷のような物で顔の下半分を覆われ、虚ろな目からハラハラと涙を流し続ける顔が私の目に焼き付いた。
 結局そこまで見終わってからやっと人垣が全部ほぐれ、みんな教室に入って行った。
 いつのまにか絽以とははぐれてしまっていた。

 当然、教室は犬にされた典子ちゃんの話で持ちきりだった。
「案外さぁ、中西みたいなマジメなヤツの方がエンコーとかやってんじゃねぇの? SMだろ? あれって」
「援交相手に捨てられたのかな」
「それにしてもスゲエことするよな」
「あーあ、あんな清純そうなヤツでもズボズボやってるなんてなぁ。女って信用ならねぇなぁ」
 ガラッと戸が開いて、担任の流山先生が入って来た。
「きりーつ。礼。着席」
「おはよう。今朝の校門の事件を見た者も多いと思うが、先程病院から連絡があり、中西は体に異常は無いそうだ。下らない噂など立てるんじゃないぞ」
「せんせーぇ! 『異常』ってどんな異常ですかぁ?」
「そッ、それはその…… いたずら……されたりとか、だな」
「『いたずら』ってぇ?」
「こらっ、岩垣、女子もいるんだからな、あまり突っ込むな」
「へーい」
 岩垣くんがわざと質問しなくったて、みんなちゃんと分かってる。
 先生は、典子ちゃんは一応『犯されなかった』って言いたいのだ。
 検査を受けたということだから、あのいやらしい拘束具からも解放されたのだろう。
 少しだけホッとした。

 騒然と始まった学校も、いつもと変わらぬ様子で授業が進み、放課後になった。

「ルぁッしゃい! 奥さん今日はハマグリが安いよハマグリ! ンなでかいの滅多にないよ! ンまいよ! 貝は亜鉛だぁよ。亜鉛タップリ! ねっ! ダンナ元気で奥さん大満足! ほれ、ルぁッしゃい! 貝買ってェ奥さんの貝も元気になるてぇ寸法だ! ケケケ」
 いつ前を通っても魚屋のおじさんは威勢がいい。
 意味不明の売り口上を撒き散らしている。
 でも……
「あ、姫!」
 私を見つけるなり声をかけてきた。
「おじさん、いいかげんその『姫』っていうのやめてよ」
「し、しかし……」
「おじさんの口調なら『お嬢!』じゃない?」
「お、お、おじょおじょおじょ…… 姫ぇ」
「だぁぁ。なんなのよ一体」
「ああもう、申し訳ございません。おうひ……じゃなかった、母君にこれをお渡し下さい」
「調子狂うなぁ。妙に丁寧な言い方になって…… これ、代済みでいいの?」
「はい、もちろんです。では。 ルぁッしゃい! ルぁッしゃい〜!!」
 私に向かって最敬礼したあと、私から他のお客に向き直ると、とたんに口調が元に戻る。
 そう、この魚屋のおじさんは勝手に私を姫と呼ぶのだ。
 そして私にだけバカ丁寧な言葉遣いになる。

 姫と言えば、アーケードの奥の鯛焼き屋のおねえさんも私を姫と呼ぶ。
 他にもどこかでそう呼ばれた記憶がある。
 商店街の何件かが結託して、私を冷やかそうというつもりだろうか。
 でもその原因が思い当たらない。
 第一、私は魚屋のおじさんも鯛焼き屋のおねえさんも良く知らないのだ。
 冷やかされるいわれが無い。


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