サマードッグ

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 サマードッグ


 車は、西湘バイパスを西へ向かっていた。
 熱い日差しに、ぼやけるように霞んだ空。
 左手に広がる海が、不思議に柔らかな照りを返す。
 遙か彼方に黒く見える、箱根の山並みの上に載った厚い雲は、山が霧であることを告げていた。

「ここは覆面ばっかりだからな」
 洋介は時速70Kmで左車線をゆるゆると流しながらつぶやいた。
 横をすごいスピードで車が追い抜いてゆく。
「ちっ、せっかくの海の見える道路で、そんなに飛ばしてどうすんだ」
 その車をいまいましそうに見送り、またぼやく。
「急いでるんじゃない? 単に」
「ま、そうかもな。 そうそう、コレ」
 運転席側に置いていた紙袋を、私に寄こす。
 中身はわかってる。
 私はガサガサと袋を開けると、中から赤い犬の首輪を出し、しばらくじっと見つめてから、自分の首に巻いた。
「あ、またやってら。 それだと上下逆だよ」
 運転しながら、ちらっと横目で私を見た洋介が言う。
「それだと折角名前を彫り込んだプレートが逆さになるぜ」
「うるさいなぁ、一年経つと忘れちゃうんだよぉ」
 私はぶすっとして答え、上下を返してもう一度嵌め直した。
 そして袋の中に手を突っ込んで中から小さな南京錠を取り出すと、首輪の留め金の輪に通し、カチリと掛けた。
 シャツの襟周りを手でぐるりと直し、襟を噛んでないか確認すると、紙袋をバリバリと畳んで足元のゴミ箱に棄てた。

 またシートにもたれ、海を見る。

 洋介と付き合いはじめて四年。
 三度目の夏。
 ネットで知りあい、お互い似たような性格だったので、すごく気楽に付き合いはじめた。
 映画の趣味も似ていたし、お酒なんかの好みまで似ていた。
 付き合い始めてしばらくは本当に楽しかったけど、洋介はあれでも一応上場企業の商社マンなので、生活パターンが昼夜逆転することもしばしばあり、そのうち普通のOLの私とではなかなか時間が合わなくなってきた。
 付き合ってるといいながら、ベタベタできない日が何週間も続いた。

 梅雨でじめじめして、気分も鬱なおととしの6月のある日、突然洋介が切り出した。
「ねえ、夏休み2週間くらい取れないかな」
「バカ言わないでよ。 いくらウチの会社が夏ヒマでも、そんなことしたら席が無くなっちゃうわよ」
「僕ら付き合ってるのに、ゆっくりと一緒に居る時間が全然無いじゃないか。ま、僕の仕事のせいなんで申し訳ないと思うけど…… だから無理にでも休みを取って、二人でまとめてずーっとベタベタしようぜ」
「そうねえ、一応聞いてみるわ。アイデアはイイと思う。……でも、なんでまた今ごろ?」
「安くて見晴らしのいい貸し別荘の申し込みの締め切りが、もうすぐなんだ」
「おっけー。明日すぐに聞いてみて、結果メールする」
 結局、普段の私の行いがいいせいか、上司にはしぶしぶながら認めてもらった。

 普段の薄味な二人の関係を一気に埋められると思い、ドキドキしながら夏休みを待った。

 そして貸し別荘に着くと、洋介は藪から棒に、私に犬の真似をすることを要求した。
「なにそれ?」
「いや、文字通りさ。ここに居る間は、礼ちゃんは犬なんだ」
「意味がわからないよぉ」
「この首輪を着けて、コロゴロしてればいいんだ。食事は僕が作るし、その他家事もやる。ただひたすらゴロゴロして、僕にそのゴロゴロする姿を見せてくれよ」
「へ、へんたい?」
「何とでも言えよ。濃厚に礼ちゃんと一緒に居る、ただそれだけのためにこの別荘借りたんだから」
「……うん…… ……いいよ。洋介の趣味につきあってあげる」
「うお!サンキュウ! さ、早速コレ!首輪!」
「な、なにがっついてんのよぉ! こら! 勝手に巻くな!」
「じゃあ自分で巻いて」
「はいはい。こう?」
「うおおおお! 萌える!」

 最初に提案された時はさすがに引いたけど、純粋に喜んでるみたいなので、まんざらじゃなかった。
 私の妥協から始まった犬の真似は、私を普段にも増して大事に取り扱ってくれる洋介の態度を見て、次第にエスカレートしていった。
 初めは服を着たまま首輪だけされて、犬の吠える真似などをさせられた。
 私も調子にのって、すり寄るしぐさをしたり、ごろんと転がって、『まいった』のポーズをしたりした。
 慣れた頃に犬の真似のまま洋介に抱かれた。
 その時裸になってからは、もう服を着せてもらえなかった。

 去年はついにお尻の穴に尻尾を差し込まれてしまった。
 お浣腸され、少しずつ拡げられ、尻尾のついたプラグが入るほどになると、とうとう一日中差し込まれたままになった。

 そして今年、また犬になる夏がやってきた。
 車は細い山道を登り、いつもの別荘に着いた。
 管理人が巡回している貸し別荘なので、到着してすぐ使えるのがありがたい。
 車から荷物を運び込み、ベッドや洗面所の仕度をした。
 一通りの準備を終えると、私は早速おトイレを済ませ、服を脱ぎ、おしりに尻尾のプラグを嵌めた。
 洋介はデスクにパソコンを置き、早速仕事を始めている。
 洋介の夏休みは5日だが、前後の土日に加えここからネット経由で仕事をすることで、2週間ここで過ごすことができる。
 私は仕事の邪魔をしないように少し離れた所にブランケットを敷き、その上に丸くなる。
 洋介の叩くキーボードの音を、耳に心地よく聴きながら、まどろんだり身体を伸ばしたりしていた。

 仕事が一段落すると、洋介は私をベッドに誘った。
「この尻尾があるとホントに獣姦してるようだよな」
 そう言いながらバックから私に挿入した。
 おざなりな前戯のわりにたやすく受け入れてしまったのは、犬としてゴロゴロしてる間に充分な蜜を貯えてしまったからだ。
 肩を掴まれ、洋介の好きな方向に自在に身体を揺すられる。
 そして何度も突き上げられ、こすられ、出し入れされて、だんだんと快感に胸が締めつけられてくる。
 そしてぼんやりと視界にもやが掛かったようになり、身体が小刻みに震える。
「う」
 私がいく前に少し締めたのを受けて、洋介もまた快感をつのらせ、運動の速度を上げる。
 パンパンと何度か激しく突いたあと、私の中で洋介のモノがさらに硬く膨らみ、私の体の中心が熱い衝撃で満たされた。
 ずるりと洋介が抜き、私はそのまま突っ伏すようにベッドに倒れ込んだ。
 洋介は2、3度私の髪を撫でると、ティッシュを私のお尻に被せ、そのままシャワールームへ消えた。
 私はまだこのけだるい疲労感の中に居るのが楽しくて、だらだらとベッドに伏せていた。

 洋介が戻ってきて、キッチンで食事の仕度を始めた。
 悪いなぁ…… 食事まで作らせて……
 起きなきゃ……
 お尻に手を回してティッシュでアソコを拭こうとしたら、ボソッと尻尾に腕が当り、ゾクリとするほどお尻の穴がくじられた。

 ベッドでだらだらしながら、次々とばらばらに色々なことを考えてしまう。
 なんで犬なんだろう?
 そうだ。結局は洋介が喜ぶ顔が見たかっただけなんだ。
 私が犬を演じると、洋介が喜ぶからやってるんだ。
 こうゆうライトSMみたいな悪ふざけは、マジに考えると醒めてしまって急速にバカバカしくなる。
 特に今のように犬の格好をしてる真っ最中に考えたりすると、お尻の穴で銜えてる尻尾なんかすごく惨めに感じて、即座に抜き去りたくなる。
 犬になりきろう。
 自分に言い聞かせてムクリと体を起こした。

 洋介は自分の食事をテーブルに並べ、私の分は名前の書かれた犬のエサ皿に盛る。
 私はちらっと洋介を見上げてから、エサ皿に顔を突っ込んで、中の食事をガツガツと食べる。

 食事の後は、またセックスしたり、ゴロゴロしたり、リードを付けられて四つん這いで庭を散歩したり。
 お風呂も二人で2時間くらいかけて入る。

 ゴロゴロ
 ベタベタ
 食事
 セックス
 お風呂

 順不同の怠惰な繰り返し。
 極上の幸福感……


 最終日。
 荷物も車へと片付け終り、管理室へ鍵も返した。
「首輪外すぞ」
「うん……」
 小さな南京錠が外され、首輪のベルトを緩められる。
 首の周りを囲っていた革の環が、平たい帯に戻る。
 包まれた世界から、解き放たれる瞬間。
 首輪に抑圧を感じる者には、待ち焦がれる瞬間。
 しかし、首輪に包まれる安堵を求める者には、安らぎの終わりを告げる瞬間。
 首に当たる風が寒い……
 多分、私、今、一番切なくて、一番嫌な顔をしてると思う。

 そしていつも思い出すのだ。
 サマードッグ……
 夏だけ別荘地で飼われ、棄てられる運命の犬……
 そんなことは無いと信じていても、この首輪を外される瞬間にいつもいつも不安で頭がいっぱいになる。

 明日からまた、変化の無い日常が始まる。
 ちょっと会って買い物。
 ちょっと会って映画。
 ちょっと会って食事。
 たまに慌ただしくセックス。
 この繰り返し。

「そんな顔するなよ。ほら、これ」
「何?」
「開けてみなよ」
 ネックレスでも入ってそうな硬い紙の箱を開け、ご丁寧に薄紙で覆われた物を取り出す。
「また首輪?」
 純白のエナメルの首輪だった。
 金の装飾に金のプレート。
 そこには彼の名字と私の名前が……!!

「着けて……くれる?」
「う…… うん!」
 首輪の金具を開こうとする私。
「ちょっと待った! 一応、これも見てからにして」
 洋介が見せたのはこの首輪に付けるとおぼしき南京錠。
「ほら、ここ……」
 洋介は、鍵の底にある鍵穴を見せた。
 ハッ!
 その鍵穴は半田で潰してあった。
「この南京錠で……留めて……くれるかい?」

 私は洋介をじっと見つめ、
 目をそらさぬようにしながら、その場に外箱をポトリと落とし、手さぐりで首輪を巻いた。
 真剣な目の洋介。
 真剣な目の私。

 一瞬、洋介の目がニヤリと歪んだ。
「ほら、また逆だ」
 私はつられて笑うのが悔しくて、さらに洋介を睨み付けながら、首輪を上下返して嵌め直した。
 ベルトをきつめに締め終ったところで、とうとう吹いてしまった。
「プッ! あははははは! 私たちに『マジ』は似あわないよ。 貸して……?」
 私は洋介の手を取り、その手の中から南京錠を摘まみ出すと、手さぐりで首輪の留め金に通した。
 そして洋介の手を包むように一緒に南京錠に添えて……
 カチリ……
 と、押した……
 全身がビリビリ痺れ、涙がボロボロこぼれた。 悲しくなんてないのに。

 涙で定まらない焦点で、洋介を見つめ、自分の唇がまるで蜜で濡れているような気分で、言った。

「ありがとう」




 おわり
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